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太平洋北西沿岸の先住民は、主に以下の部族に分けられます。 |
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トリンギット族はトーテムポールや木彫りの芸術品だけではなく、最近でHainesのChilkat Dancers(伝統的な踊り)で有名である。また、Mountain Goat(シロイワヤギ)の毛で織られたChilkat Blanketsと呼ばれる毛織物はこの地域から生まれたもので、商いの貴重なアイテムでした。デザインの特徴は、家の仕切りの絵やカヌーの船首、船尾、パドル、革の衣服やドラム(太鼓)などには、黒・赤・緑の三色の伝統的な色が使われていることです。平面に描かれたトリンギット族のデザインは、近くのハイダ族やチムシアン族のデザインと区別することが難しいことがある。しかし、一般的には伝統的なトリンギットの描くデザインは、黒色の部分の角がさらに尖っています。 |
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クイーンシャーロット諸島のハイダ族はその表現力において、洗練されたデザインと精巧な彫刻技術を最も高めたといわれている。彼らの残したトーテムポール、アージライト製のレプリカ、木の彫り物を見るとそれが伺い知れる。
ハイダアーティストの洗練されたそのデザインスタイルは伝統的なノースコーストウェストのデザインを代表するといってもいいであろう。ハイダ族デザインの共通の特徴は調和・統一性・対象性を備えていることである。そして美しく流れるような線に目立つ色と100以上の生き物からなる紋章制度に基づく表現のされ方がされている。
動物の描き方の中で頭はたいてい全体の体の3分の1から半分の大きさである。そして正面を向いており腕を曲げたうずくまるようにしゃがんだ格好になっている。人間の頭にはたいてい“ポトラッチリング”と呼ばれる縦に積み重ねられた大きな帽子が被られている。口は開いていて歯並びをみせている。また大きなな舌をのぞかしている場合もある。
そして彩色は伝統的な3色(赤・黒・緑)が使われている。 |
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ブリテッシユ・コロンビア州北部沿岸(クイーンシャーロット諸島から北東の位置)から内陸部のSkeena(スキーナ川)・Nass(ナス川)に沿って住んでいる。これらの川ではCandle fish(キュウリウオ科の食用魚)がたくさん捕れ、それを加工しハイダ族や内陸部の他族と商いをした。
伝統的なデザインの特徴は、Coast Tsimshian族と川の上流のGitksan族とNisga’a族の混ざったものです。多くの点でHaislaとHeiltsukに似通っています。しいて言うと、平面に描かれる伝統的なチムシアンのスタイルは、感受性が鋭く、繊細な、ある意味規則性を持った細い線で描かれているといえる。ハイダ族、やトリンギット族のアート作品と比べてさらに優美で洗練されている印象を与えます。
それは、丸みが多くやわらかな曲線を描いていることや規則性を持った内側のラインのデザインからも伺い知れる。人間はかなりリアルに描かれます。頭が大きく、目も丸くて大きいので穏やかな表情に見えます。口はたいてい横に幅広く、結ばれています。色は、伝統的には、黒、赤、緑か青が使われています。 |
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ベラ・クーラ族の人々はコースト・サーリッシュ族の言語にかなり類似している。
彼らの居住区はベラ・クーラバレイの狭いエリアである。 |
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KWAKIUTL (クワキウトル族) ※Kwakwaka’wakw |
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サンダーバードとイーグルを刻み込んだクワキウトルのトーテムポールは、その翼を広げているのが特徴です。一方、ハイダ族、ヌートカ族やたいていのチムシアン族のトーテムポールでは、その翼がサイドに閉じられた形をとっています。
今日、Cormorant(コモラント)島のAlert Bay(アラート・ベイ)の村では世界有数のトーテムポールをみることができます。 |
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NOOTKA (ヌートカ族) ※Nuu-chah-nulth |
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ヌートカ族の人々はカナダのブリテッシュ・コロンビア州沿岸とアメリカのワシントン州
外れの沿岸を居住区とし、捕鯨で生活を営んできた部族である。コククジラやミンククジラを銛で捕まえていた。女性たちは防水の籠を編むのを得意としていた。 |
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Coast Salish(沿岸のサリッシュ族)とInterior(内陸のサリッシュ族)に分かれている。
彼らはサリッシュ語族グループを形成しました。
彼らは大きなトーテムポールを彫ることを専門にしてこなかったので、優れた造形物は
残してこなかった。しかし、女性たちは、編むことに力を発揮し、すばらしい編み物、
かごの製作者であった。今日では、地元の人々が手編みで編むカウチンセーターが世界的に有名になっています。 |
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参照文献:LEARNING BY DESIGNING Pacific Northwest Coast Native Indian Art |
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先住民の間にも様々な情報・文化が簡単に入ってくる時代となった。時代とともにその生活も変化していかざるを得なくなり、特に最初の自給自足としての狩猟生活(自分たちが生活の糧としてサケをとったり保存したりすること。又、アザラシなどを食料や自分達の衣服として毛皮を使うこと)から、商業的活動(貿易品として毛皮を売る)へと変化していく過程で、同時に欧米からの影響を受け、元々の伝統的文化が失われる結果をひきおこしてしまった。このことは、固有の言語を話せる人々の減少をももたらした。
このような中、先住民と移住者(主に欧米人)との間の問題を解決するために現在ではカナダ政府は先住民との間に様々な法整備を整え、先住民の文化復興の動きが活性化している。 |